嵐の初期メンバー候補と結成秘話!5人決定の裏側と脱退の噂を徹底解説

目次
嵐の初期メンバー候補と結成秘話!5人決定の裏側と脱退の噂を徹底解説
嵐の初期メンバー候補と結成秘話!5人決定の裏側と脱退の噂を徹底解説
@ creator • Click to Play Video Inline
🎵 嵐の初期メンバー候補と結成秘話!5人決定の裏側と脱退の噂を徹底解説

1999年9月、常夏のハワイ・ホノルル沖のクルーズ客船で鮮烈なデビュー記者会見を行い、一躍時代のトップスターへと駆け上がった国民的アイドルグループ「嵐」。大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤の5人で築き上げた歴史は唯一無二ですが、結成からデビューに至る水面下では、数々のドラマと運命のいたずらが交錯していました。

ファンの間では「初期メンバーには別のジャニーズJr.が選ばれる予定だったのではないか」「脱退したメンバーがいたのではないか」といった噂が語り継がれています。デビュー25周年を超えた現在も色あせない、嵐のメンバー決定にまつわる激動の裏側と結成秘話を、当時の証言とともに詳しく紐解いていきます。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:嵐の正式メンバーは結成時から現在まで一貫して5人であり、公式な脱退者は過去に一人も存在しない。
  • 要点2:ジャニーズJr.黄金期に絶大な人気を誇った伝説のユニット「MAIN」や、別の実力派Jr.が初期候補として検討されていた。
  • 要点3:大野智の退所引き留めや相葉雅紀の「パスポート事件」など、幾重もの偶然とジャニー喜多川氏の直感が重なり奇跡の5人が誕生した。

【結成前夜】ジャニーズJr.黄金期と「嵐」誕生に至るメンバー決定の経緯

1990年代後半、テレビ番組『8時だJ』(テレビ朝日系)などを中心に空前のブームを巻き起こしていた「ジャニーズJr.黄金期」。ドーム公演を単独で成功させるほど熱狂的な人気を集めていたJr.の中から、1999年に開催される「バレーボールワールドカップ」のイメージキャラクターとして新グループを結成する極秘プロジェクトが始動しました。

当時、事務所を牽引していたジャニー喜多川氏が最初にグループの軸として固めていたのが、櫻井翔・二宮和也・松本潤の3人でした。抜群のリズム感と頭脳明晰さを併せ持つ櫻井、圧倒的な演技力と音楽的センスを誇る二宮、そして華やかなスター性とストイックさを持つ松本。この3人がグループの土台としてリストアップされたことが、嵐の原点となりました。

しかし、ダンスと歌の総合的なクオリティを担保し、単なるアイドルにとどまらない強力なグループに仕立て上げるためには、絶対的なメインボーカルと、グループの空気を和ませる独自の存在感が不可欠でした。ここから、デビュー直前まで続くメンバー選考の試行錯誤が本格化することになります。

【幻のメンバー候補】生田斗真「MAIN」時代と名前が挙がっていたJr.たち

嵐の初期構想を語る上で欠かせないのが、当時ジャニーズJr.内で絶大な人気を誇っていた4人組ユニット「MAIN(メイン)」の存在です。メンバーそれぞれの頭文字を取って名付けられたこのユニットは、以下の4人で構成されていました。

・M:松本潤
・A:相葉雅紀
・I:生田斗真
・N:二宮和也

舞台『Stand by Me』で共演した4人はJr.内でもトップクラスの人気と実力を誇り、「MAINの4人がそのままデビューするのではないか」とファンの間でも有力視されていました。しかし、実際に嵐として選ばれたのは松本、相葉、二宮の3人。生田斗真は選考から外れる形となりました。

後に生田斗真自身がテレビ番組等で明かしたところによると、同期や弟分として苦楽を共にしてきた仲間たちが「嵐」として華々しくデビューしていく姿をテレビ越しに見て、強烈な挫折感と悔しさを味わったといいます。しかし、この経験が生田を「俳優一本で道を切り拓く」という覚悟へと突き動かし、現在の唯一無二の俳優キャリアへと繋がっていきました。

また、当時のJr.黄金期を支えていた小原裕貴や山下智久、さらには関西Jr.の実力派など、複数のJr.がデビュー構想の候補として名前を挙げられていたと伝えられています。しかし、バレーボール中継とのタイアップというグループのコンセプトやバランスを考慮した結果、最終的に現在の顔ぶれへと絞り込まれていきました。

【パスポート事件】相葉雅紀の緊急加入とハワイお披露目会見の裏側

嵐の結成秘話の中でも最も有名なエピソードが、相葉雅紀の電撃加入劇です。実は、ハワイ出発の数日前まで、相葉は嵐のメンバーに入っていませんでした。

当時、櫻井、二宮、松本、そして大野の4人でほぼデビューメンバーが固まりつつあった中、ジャニー喜多川氏から相葉の元に突然1本の電話が入ります。そこで投げかけられた言葉が、伝説となっている「You、パスポート持ってる?」という一言でした。

たまたま以前の海外ロケや家族旅行の都合で有効なパスポートを所持していた相葉が「持ってます」と答えたことで、ジャニー氏は「じゃあハワイ行っちゃいなよ」と即決。まさにハワイ行きの飛行機に乗る直前のタイミングで、5人目のメンバーとして急遽嵐へ合流することが決まりました。

一見するとパスポートの有無だけで決まった運命のようにも思えますが、ジャニー氏は以前から相葉の明るい人柄、周囲を笑顔にするピュアな天真爛漫さ、そしてMAIN時代から培われたステージでの勘の良さを高く評価していました。櫻井・二宮・松本というシャープで個性的な面々の中に相葉が入ることで、グループ全体に柔らかな調和が生まれるという確固たる計算があったのです。

【退所希望からの大逆転】大野智のボーカル抜擢と結成の真相

グループのリーダーであり、圧倒的な歌唱力とダンススキルで嵐のパフォーマンスを支え続けた大野智ですが、実は嵐結成当時はジャニーズ事務所を辞める決意を固めていたという衝撃的な事実があります。

大野は当時、京都での長期舞台公演『ジャニーズ・ファンタジー KYO TO KYO』で毎日何ステージも過酷なダンスをこなし、やり切った達成感とともに「イラストレーターになりたい」「別の夢を追いたい」と退所を申し出ていました。ジャニーズJr.としての活動にも区切りをつけようとしていた時期でした。

しかし、類まれな大野の歌唱力とリズム感をグループにどうしても組み込みたかった事務所側は、大野を引き留めるために巧妙なアプローチを取ります。「ジャニーズJr.の新曲のレコーディングを手伝ってほしい」「歌のテストを手伝ってほしい」と頼み込み、スタジオで大野に嵐のデビュー曲『A・RA・SHI』のソロパートやメインボーカル部分を仮吹き込みさせました。

大野本人は後輩のサポートのつもりでレコーディングに協力していましたが、気づいた時にはハワイ行きのスケジュールに組み込まれており、そのまま「嵐」のメインボーカルとして会見場に立たされることになったのです。退所寸前だった大野がグループに加わったことで、嵐の楽曲のクオリティは確固たるものとなり、初期の音楽的評価を大きく底上げすることになりました。

【真相究明】嵐に「脱退メンバー」は存在した?噂の背景とデビュー当時の葛藤

インターネット上で「嵐 脱退メンバー」というキーワードが検索されることがありますが、結論から申し上げますと、1999年のCDデビュー以降、嵐から脱退したメンバーは過去に一人もいません。

それにもかかわらず脱退の噂が絶えない背景には、以下の3つの要因が関係しています。

  • Jr.内ユニット「MAIN」の解体によるファンの誤解:生田斗真が嵐に入らなかったことで、「生田が途中でグループから外された・脱退した」と後から知ったファンが混同してしまったケース。
  • 結成直前の流動的なメンバー選考:デビュー前のレッスンや楽曲収録の段階で、数名のJr.が出入りしていたという当時の証言が、尾ひれをつけて「初期に脱退者がいた」という噂に変形したケース。
  • メンバー自身の「辞めたかった」という初期告白:櫻井翔(学業専念のため大学進学を機に辞めるつもりだった)、二宮和也(演出や映画の勉強のため渡米を考えていた)など、メンバー自身が後に「デビュー当初は長続きさせる気がなかった」と率直に語ったエピソードが誤解を生んだケース。

メンバーそれぞれが将来への不安や葛藤を抱えながらスタートした嵐でしたが、5人で困難を乗り越える中で強固な信頼関係を築き上げ、活動休止に至るまで誰一人欠けることなく同じ5人で走り切ったことこそが、嵐というグループの最大の誇りです。

【初期エピソードまとめ】スケルトン衣装から始まった国民的グループへの軌跡

1999年11月3日のCDデビュー以降、嵐が歩んだ初期の歩みは、決して順風満帆なエリートコースだけではありませんでした。数々の伝説的なエピソードが、グループの絆を強固にしていきました。

代表的な初期のエピソードとして語り継がれているのが、音楽番組『ミュージックステーション』で披露された伝説のスケルトン衣装(透明なビニール製衣装)です。斬新すぎるビジュアルは当時大きな衝撃を与え、メンバー自身も後に「恥ずかしくてたまらなかった」と振り返るほどでしたが、世間に強烈なインパクトを残すきっかけとなりました。

また、デビュー記念の握手会には約8万人ものファンが殺到し、パニック状態となって急遽イベントが中断・変更されるなど、Jr.黄金期の熱量をそのまま引き継いだ熱狂的なスタートを切りました。

しかし、デビューから数年が経つと、後輩グループの台頭やシングル売上の伸び悩みなど、一時的な停滞期を経験することになります。その苦しい時期に深夜番組での体当たりのロケやコンサートのセルフプロデュースを愚直に続けたことが、後の大ブレイクと「国民的グループ」への飛躍へと繋がっていきました。

【嵐 初期 メンバー】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:嵐の結成当初、生田斗真が入る予定だったというのは本当ですか?
A1:生田斗真、松本潤、相葉雅紀、二宮和也の4人で「MAIN」という大人気ユニットを組んでいたため有力視されていましたが、ジャニー喜多川氏の構想により生田は選ばれませんでした。生田はこの悔しさをバネに俳優としての道を極めることになります。

Q2:相葉雅紀が嵐に入ったのはパスポートを持っていたからだけですか?
A2:パスポートの所持が直接のきっかけとなったのは事実ですが、ジャニー喜多川氏は相葉の持つ天性の明るさや協調性、グループの空気を和ませるバランス感覚を高く評価しており、必然的な抜擢だったと言えます。

Q3:嵐のリーダーが大野智に決まった理由は何ですか?
A3:少年隊の番組『少年隊夢』内でのジャンケン企画で大野が勝った(あるいは先輩の提案で決定した)ことがきっかけですが、最年長であり圧倒的なスキルで背中を見せる大野の姿勢は、結果として嵐の自由で温かいチームカラーを決定づけました。

まとめ:偶然と必然が重なり合って生まれた「奇跡の5人」の絆

嵐の結成プロセスを振り返ると、ジャニーズJr.黄金期の実力派たちがひしめく中で、偶然と直感、そしてメンバーそれぞれの運命が奇跡的に噛み合って結実したことがよく分かります。

辞めるつもりだった大野や櫻井、演出家志望だった二宮、パスポート1枚で滑り込んだ相葉、そしてグループの未来を信じ続けた松本。誰か一人でも欠けていれば、私たちが知る「嵐」の温かく力強い世界観は生まれていませんでした。

デビュー当時の試行錯誤と葛藤があったからこそ、5人が築き上げた信頼は強固なものとなりました。25周年を経てなお多くの人々に愛され続ける嵐の軌跡は、まさに初期の劇的なドラマから始まっていたと言えます。 (出典: 嵐 初期 メンバー(Yahoo!ニュース))